波もないので、久しぶりにお気に入りのポイントをチェック
するが、全くダメ。
広い芝生が広がる公園を散歩。
ただ散歩するのも楽しくないので、誰もいない公園の芝生
を目をつぶって歩く事に。
サングラスをかけているので、他人が私に気づいたとしても
まさか、私が目をつぶって歩いているとは思わないでしょう。
私はこの場所でこんな事を時々やっているのである。
こんな事をしていると、自分は、普段いかに、目(見る)と
言う事に頼って生活しているか?に気がつく。
これだけ「目」に頼って生活しているわりに、特別「目」を
大切にしている訳でもない。
歯を磨いたり、顔や体を洗ったりはしない。
もっと「目」のケアを考えた方が良いかもしれない。
芝生の上を目を閉じたまま歩いてみると、ある意味、
今まで見えなかったものが、見たりする。
見えると言うよりも、感じる事が出来る。
周りが見えない分、耳から聞こえてくるものや、
体に当たる、風などをより感じようと体が反応
しているようである。
そして、聞こえるもの、感じるもの以外にも、
「気配」みたいな事を感じたりする事が出来る
ように思える。
目を閉じたままでも感じる事の出来る
「明るさ」みたいなものもあるし、自分が歩いている
一歩一歩を大切にしているように思える。
こういう事って生きていく中では凄く大切な事なのに、
私達はこういう事を案外「雑」に考えてしまっている
のではないだろうか。
世の中が便利になればなるほど、こういう事を雑に
考えてしまうのだろうか。
確かに、便利になる事で、生活は豊かになったように
思えるが、それが本来人間があるべき姿なのか?と
思ってしまう。
極端に言えば、大昔、電気も何もなかった時代は、
もっと、人間が本来持っている力をフルに使って生活
していたのだと思う。それが便利になる事でそれを
使わなくなってしまったのだろう。
どっちが良いのか?は分からないし、今、このような
状況になってしまった以上、この生活を大昔のように
戻す事など出来ず、「便利」さはさらに進化していくの
だろうが、それが本当に「進化」なのか?は分からない。
もしかしたら「退化」なのかもしれない。
まぁ〜、こんな事を言っていると大袈裟な話になって
しまうが、ただ、時々、こんな事を考えるためにも、
目を閉じて、普段感じていないものを感じてみては
どうだろうか?感じてはいるのだろうが、気づいて
いない事を気づくのも悪くはないと思う。
私は、そんな事よりも、目を閉じて、自分自身を
見つめ直す事が必要かもしれないが・・・
by TNJ